・01 ぽつ、ぽつ。 世界のどこかで零れ落ちる涙と怒り。 幼い心に刻まれた寂しさと絶望─それらが、静かに深淵を満たしていった。 【ルーチェモン フォールダウンモード:完全体】 封印されていた白金の翼が闇に染まり、夜空はその”光”で灼かれた。 ひとたび目を合わせれば、”勇気”すら砕かれそうな冷たい気配。 その魔王の前で、子供たちは震える手で剣(デジヴァイス)を握りしめた。 己の弱さ、迷い、後悔─全てと向き合い、乗り越えたその先に辿り着いた姿。 「─モン、究極進化!」 叫びと共に、幾つもの究極体が並び立った。 「ど、どうしてなんですかぁっ!ルーチェモンっ!」 殆ど絶叫となった声が、睨み合いに割り込む。 その声の主は八北一着。 ルーチェモンと“友情”を交わしていた唯一の存在…少なくとも、本人はそう思っていた。 「理解力が無さすぎる─ボクはね、君を利用していたんだヨ」 フルフェイスのマスクの奥、涙を滲ませた問いに魔王はこめかみに指を当て”知識”が足りないね─そう嘲りの笑みを浮かべた。 その言葉は、イツキが信じていた“優しさ”は虚構だったと思い知らせて来る。 あたたかかった日々は、ただ餌を与えるための”希望”に過ぎなかった。 「イツキは下がってろ!」 「最初から信用ならなかったんだよ!テメェは!」 「あなたの分も、私たちが─!」 仲間たちが一斉に前へと躍り出る。 それぞれのデジヴァイスに宿るの八つの紋章が、彼らの背を支えていた。 ルーチェモンは放たれた光線を弾くが、その隙に一匹の究極体デジモンが飛びかかるとその胸元を切り裂いた。 「どうだ!オレたちには、紋章の力が…進化があるんだ!」 「いける!俺たちが産み出した進化で!」 ルーチェモンはゆるく首をかしげると、まるで”純真”な子供のような笑顔で胸元をはだけさせた。 「紋章─あぁ、これのことかい?」 そこに八つの紋章が埋まっていたことを子供たちが認識した瞬間、彼らのデジヴァイスが数度点滅した後にその画面を落とした。 パートナーが一気に幼年期へと退化し、彼らが持っていた勝利への”希望”が途絶えた。 「な、なんで…私たちの紋章が……!」 「あっはっはっ!びっくりしてくれてありがとネ!」 子供たちの狼狽を、ルーチェモンは楽しげに眺める。 「ボクはね、欠けたこの体を八つの紋章で補っていたんだ」 「つまり、君たちが握っていたのは本物じゃない。ボクが作ったただの紛い物(ショートカットキー)サ」 「ルーチェモン…な、何言ってるかわかんないよぉっ!!」 イツキは地面を叩いて叫ぶが、ルーチェモンは一瞥もくれない。 「マイナスの感情は、そのままボクが吸収する。直接ネ」 ルーチェモンは片手を掲げると、黒い光が指先から立ちのぼる。 それはまるでイツキの絶望を、今この瞬間も食べているかのようだった。 「でも、プラスの感情─君たちの肯定的な気持ちはなんかは…偽物(ショートカットキー)を通して本物(ここ)に送られてくるのサ」 彼はゆっくりと胸元に埋まる紋章に指を這わせる。 その表情は、まるで大切な宝物に”愛情”を持って触れる時のような恍惚だった。 「俺たちの産み出した進化の力〜とかさっき言ってたけどサ…それはボクが君たちの感情をもらった“お礼”に、一時的に貸してあげてたものに過ぎないんだヨ」 その目が細められ、口角が冷たく吊り上がる。 「究極体になれる時間が極端に短いのは…」 「進化したら気力がなくなる程に疲れて、動けなくなってた…まさか!」 「そう、その通り!ボクが進化エネルギーを感情という利子つきで回収してたからだヨォ!」 子供たちが信じていた《進化のシステム》さえ、ルーチェモンの支配下にあった。 悩みを乗り越えたと思っていたその瞬間すら、最初から仕組まれた幻だったのだ。 「最低だ!こんなのただの押し付けだ!」 「はぁ?進化のお陰でキミたちはここまで生き残ってきたんだぞ?頭を地面に擦り付けてボクに感謝しろヨ」 ルーチェモンが手を振ると、強い重力で子供たちとパートナーデジモンは膝を突かされる。 「君たちが得た─」 ルーチェモンは指を折りながら、ひとつずつ、ゆっくりと列挙していく。 「勇気。友情。知識。純真。優しさ。愛情。希望…光」 彼は小さく笑い、指を揃えた。 「そのすべてが!ボクの設計した“偽物の運命”だったんだヨ!」 彼の胸に埋まった八つの紋章が全て輝き、世界の終焉を思わせるほど凄絶なエネルギーの渦が渦巻いた。 「─あっはっはっはっは!!」 だが、その渦はルーチェモンを内側から飲み込むと静かに消え去った。 「…!?」 再び曇天の空が戻ってくる─異様な状況に子供たちやパートナーデジモンは警戒しながら辺りを見回す。 その時─世界救済の光だと言わんばかりの輝きが暗雲を引き裂くと、天から巨大なデジタマが出現した。 半透明の中で人影が蒼光を帯びた神聖の鎧を纏い、翼が形を変え、剣と銃がその手に宿る。 やがて高鳴る脈動とともにデジタマが破裂し、閃光が世界を切り裂いた。 「──あれは…!」 その手に使い込まれた図鑑型のデバイスを持つ子供が震える声を漏らす。 姿を現したそれは、伝説─終末すら救いに変えたという、“光”の権化だった。 【オメガモン マーシフルモード:超究極体】 「─待たせたな、下等生物(ゴミ)ども」 威厳をたたえた巨体が、宙を薙ぐようにその翼を展開する。 淡く輝く外殻の奥に、戦慄の力が脈動していた。 神の生誕にも似たその光景─だが、それは決して救いなどではない。 これは八つの紋章と感情エネルギーを強引に統合し、異形の進化を遂げた魔王の成れの果てでしかない。 「この力があれば地底に沈んだカーネルも引き上げられる」 声と同時に地の底が震え、遺跡の床がうねりを上げ、空間そのものが膨れ上がるような圧を放つ。 オメガモンと化した彼は、ただ静かに両の腕を宙へと掲げた。 「なぜボクがここを最後のナンバーワンバトルの場所に選んだか─それは、この地こそ世界の核へと繋がる回廊だからサ」 地鳴りの中、遺跡の中央が浮き上がり始める。 子供たちは空間の底にある何かが、引きずり出されようとしている気配を感じ取った。 「ボクは、かつての戦いでカーネルを地上に引きずり下ろしイグドラシルを破壊した。その中に眠る《デジタルワールドのコア》─それこそが、ボクの本当の目的だったのサ」 「く、クンリニンサンを……!?」 イツキが叫ぶと、その震える声に子供たちが振り返る。 「そうだよイツキ。ボクは、その“管理人さん”を破壊した。世界をボクだけの理想に塗り替えたいからネ」 オメガモンの手が天へと伸び、その力がより増幅されると地層ごと空間が歪んでいく。 もはや遺跡だけではなく、地下に広がる巨大な構造物自体が持ち上がろうとしていた。 ─だが。 「…なぜだ?」 オメガモンの声に、僅かな苛立ちが混じった。 浮かびかけていた遺跡が、そこで停止していた。 まるで何かが、下からそれを押しとどめているかのように。 『恐れるな、子供たちよ』 口ではなく、心の奥へ直接流れ込んでくるような、静かな声だった。 その瞬間、空中に淡い光が走り、空間の一点が歪む。 「あっ…あれを見て!」 子供の一人が指差した先、空中に淡く輝くホログラムのような映像が浮かんでいた。 それは黄金に輝く鎧を纏い、疲弊しながらも毅然とした目でこちらを見つめる幻影だった。 『私はマグナモン─この世界の最後の守護者だ』 強くも優しさの見えるその声は、かつて戦いの最中、幾度となく子供たちを導いたものと完全に重なった。 「この声…まさか……!」 「ああ、俺たちを助けてくれた……あの時の!」 その言葉とともに、マグナモンのビジョンの周囲に、幻のような映像が浮かび始めた。 ・02 ビジョンには赤黒く灼けた空、吼える魔王軍、抗い続ける騎士団が映されていた。 『情熱の闘士、デュナスモン!』 『孤高の闘士…ロードナイトモン!』 『あっははは!ボクに騙されて内ゲバを起こしたようなヤツらがノコノコと…』 『故に、我々がケジメをつけるのだ』 最終決戦の中心ではルーチェモン・デュナスモン・ロードナイトモンが交錯し、爆裂した。 『我らは全てを賭してあの戦いに挑んだ…あの混乱の中、私はカーネルへと這うように向かった』 彼らが相討ちになる形で決着する頃─その真下には、血に濡れながらもカーネルへと進むマグナモンの姿があった。 『この身は既に限界だった…だが、誰かがコアを護らねばならなかった。ならば、私が柱となろうと決めた』 ビジョンの中、マグナモンはカーネルにたどり着くと崩れるように地に膝をついた。 やがてその体は光に包まれ、そのまま辺りの物体を同化しながら地底の構造へと沈んで行った。 「そんな…ことが…」 『デジタルワールドを守護するシステム…いや、それ以上に我が同胞の姿を利用しての悪事!何よりも赦せん!』 「ハッ…自分から亡霊を名乗るヤツが今更出てきて何をしようというんだッ!」 唖然とする子供たちの上で、マグナモンの視線は真っ直ぐとオメガモンを睨み付けていた。 だがオメガモンはそれに嘲笑で返すと、光と闇が銃身と剣先に集める。 地鳴りが再開し、遺跡がきしみ、下層に眠る何か─カーネルが軋む。 『くっ…!』 マグナモンの声が苦痛に染まりながら響く。 『子供たちよ!君たちの得た力は偽物だったかもしれない…だが、誰かの為にと何かを信じたその心に偽りはなかったはずだ!』 「で、でも…俺たちには進化が…!」 「わたしは、パートナーを信じるわ!」 一人の声を皮切りに、子供たちは願った。 パートナーの進化を、勝利を、そして未来を。 そして、それはパートナーデジモンたちも同じだった。 膨れあがる祈りに呼応するように、遺跡の下から金の光がじわりとあふれ出してゆく。 『…感じる。君たちの願いを。信じる力を』 地下から舞い上がった金色の粒子が、次々にそれぞれのデジヴァイスへと触れていく。 「デジヴァイスの電源が戻った!」 「アタシのも……!」 だがそれだけではない─粒子の光を浴びたデジヴァイスのボディが、ひとつずつ金色に染まっていく。 「この光…!」 「ボクたち、また立てる…?進化できる…!?」 「違う。これは、もっと!!」 オメガモンは目を見開き、初めて動揺を露わにした。 「な、なにが……起きているんだ……ッ!」 次々と黄金に輝き始めるパートナーデジモンの姿を見たオメガモンは、咄嗟に右腕の大砲を向ける。 そして、地面を薙ぎ払うように青い爆風を撃ち放った。 だがその爆発はパートナーデジモンの内側からあふれ出した光に呑まれ、跡形もなく打ち消された。 「─モン、ワープ進化ッ!!」 叫びとともに、デジモンたちは次々と究極体へと進化する。 だがそれは旧来のどのデータベースにも記録されていない、全身を金に染めた全く新しい姿だった。 辞書のようなデバイスが甲高い警告音を鳴らす。 「スペリオル…モード…?」 少年が震える声で、未知の言葉をつぶやいた。 その数は、次々と増えていく。 灰色の都市を越え、緑の大地を越え、紺碧の海を越え、願いの共鳴が、未来を望む心が、およそ100の究極体デジモンと子供たちをその場に集結させた。 「─雑魚が数ばかり揃えてっ…!だがいいだろう!」 オメガモンが剣で空間を裂くと裂け目の奥から十体ほどの巨大なデジモンが出現する。 それらは、一直線に子供たちのパートナーデジモンへと襲いかかっていく。 「これは、ボクが光の向こう側で見た異世界の勇者たち…そのコピー体だ!今のうちに遺書でも書いておくんだネェッ!!」 だが、子供たちは恐れるどころかむしろ優勢に立ち回り始める。 コピー体を圧倒するその光景に、オメガモンの目にわずかな焦りが宿る。 「ボクは…紋章も、進化も、運命そのものの支配権すら手にしたはずなのに…ッ!」 そのときマグナモンのビジョンが再び光を放ち、彼の声が空に響き渡った。 『私がなんと呼ばれていたか…お前が知らないはずはあるまい』 「守りの要、奇跡の輝き…!」 その言葉に、オメガモンの口元がかすかに引きつる。 『仲間たちは信じてくれた。マグナモン(わたし)さえ残っていれば、デジタルワールドは滅びない─と』 ゆっくりと、引きずり上げられかけていた遺跡が地面へと戻されていく。 『ゆえに、運命さえ越える“奇跡”を引き起こす私が…私の存在そのものが!世界の最終防衛ラインなのだ!』 その言葉に、子供たちの目に決意が宿る。 「みんな…ごめんなさい…ルーチェモンを…ぼくの友達を、とめてください……!」 イツキがふらりと前に出て、膝をついた。 割れたマスクの奥からこぼれ落ちる涙に、子供たちは深くうなずいた。 ・03 ─あの戦いから、二十年以上の時が流れた。 世界を呑み込もうとしたルーチェモンは、最終決戦の果てにデータの藻屑となって消えた。 けれども、すべてが滅びたわけではなかった。 破壊された大地にただひとつ、ぽつんと取り残された小さなデジタマが静かに揺れていた。 ナンバーワンバトルと称されたくだらない騒ぎ…それは全て計算された茶番劇にすぎなかった。 それでも、ただの駒としてそばに置いたはずの子供と並んで笑った瞬間は確かにあった。 「悪くない」…心の片隅で感じたその一片の気持ちが、このデジタマとなったのだろう。 やがてそのデジタマから生まれたのは、小さなプットモンだった。 言葉もなく跳ねるばかりのその姿を見つめるたび、イツキは微笑む。 (…これも、マグナモンの持つ《奇跡を引き起こす力》によるものなのだろうか?) 現在、イツキは言葉と理解で結ばれたデジモンと人間の未来を信じて研究を始めていた。 かつてマグナモンから語られた、何かを信じたその心に偽りはなかったはず…その言葉が確かな原動力になっていた。 「ボクにとっては…今も、君は友達なんだよ」 時間だ─イツキはぱたん、と本を閉じる。 それは旅の記憶と仲間たちとの日々を収めた、一冊のアルバムだった。 ページをめくる度にあの時の笑顔や涙を思い出し、今の道を選ぶ理由を思い出す。 今日は、人間とデジモンとの関係について語り合う小さな集まりがある。 会議と呼べるほど大それたモノではないけれど、 未来に繋がる確かな話し合い…また一歩、前へ進むための時間だった。 「いってきます」 跳ねていたプットモンに向かって、軽く手を振る。 声に応えるように、プットモンがぴょこんと跳ね返した。 玄関のドアを静かに開けると、朝の光が差し込んだ。 おわり .