『ミコト…貴様は怒りを忘れてしまった』 ───────── そんな声を聞いた気がして、目が覚めた。 「今…何時…?」 時計を見てみると、まだ少し起きるには早い時間。 「聖心さんはまだ起きてないだろうし…ブランさんも…まだだろうな…」 二度寝をするような気分にもなれない。 ちょっと早いけど…朝ご飯でも作ろうかな。 ───────── 「おー!今日は朝から豪勢じゃないっすか〜!どうしたんすか、こんなに?」 「あはは…ちょっと時間があったので…」 家にいた頃は、女中の人たちが給仕をしてくれていて、こうして家事をすることなんて全くなかった。 だからあの村を出てきた時、私は何もできなかった。 けれど今はこうして、ご飯と味噌汁に焼き魚、納豆と卵焼きに和え物というちゃんとした朝食を作れるぐらいにはなった。 聖心さんたちの生活があまりにも…その…ひどすぎたというのも理由の一つだけど、こうして料理をすることは、案外楽しかった。 こういう雑事をやっていると、気が紛れる。あの時のことを…考えなくて済むのだ。 『忘れてはならぬ。思い続けなければならない。』 「誰!?」 またあの声だ。 「ミコト?…どうしたの?」 ブランさんが心配そうに私を見る。 「だ…大丈夫です!きっと…ただの空耳ですから…。」 結局、またその声が聞こえることはなかった。…その日のうちは。 ───────── 『……  …ト』 誰… 『…  ……ミ──ト…!』 この声… 『  ……ミコ─────!』 知ってる… 『──────ミコト…!』 「あ…あ、ぁ……!」 目の前にいた”それ”を見て、私は声が出せなかった。 四肢に配された金色の装甲、赤く鋭い爪。 異形に捩れた角と、腹の牙。 ”それ”は、あの日見た破神…「ぺおる様」だった。 『ミコト…!』 どうしてここに?聖心さんたちは?まさか…あの日みたいに… 『困惑しているようだな、ミコト。辺りをよく見るが良い。』 言われた通りにしてみると、周りは真っ暗で、何もない空間なのがわかった。 「ここは…どこなんですか…」 『此処は、心の中だ。我と貴様しか、此処には存在出来ぬ。』 ぺおる様は、伝承で聞いていたよりも、ずっとよく喋るらしい。 『…其れは、やめてもらおうか。』 「それ?」 『我が名はベルフェモン…!ぺおる様とは、我を封じたあの村の人間共が付けた忌々しき名だ!』 そうだったんだ…じゃあ、お父様が言ってたのは…。あれ?私…声に出したっけ… 『声に出さずとも分かる。此処は心の中であるが故に。』 隠し事は出来ない…ってことかな。 『然り。それでは本題に戻ろう。幾百年の屈辱を経て…我は漸く、貴様のおかげで力を取り戻しつつある。貴様の願いを、叶えてやろうというのだ。』 願い?願いって…何? 『此の世界、そして悉くの破壊だ。』 「私は…私はそんなこと…願ってなんて…!」 思わず声を上げてしまった。 『矢張り…貴様は怒りを忘れてしまったか…ならば思い出させてやろう!怒りを!!』 「きゃぁぁぁっ!!」 そう吠えたぺおる様は、私をその両手で包み込んだ。 ───────── 「ここは…」 「あらミコちゃん、帰りかい?」 「せ…関根のおばさん…」 「よかったらウチの畑で採れた野菜、食べていきな。」 私の目の前には、あの日死んだはずの人がいた。 それだけじゃない。あの日滅んだはずの村に、私はいた。 『懐かしいか?ミコト。』 ぺおる様の声が、私の中から聞こえる。 「ど…どうしてこんな…」 『ここは貴様の記憶の中だ。思い出させてやろうというのだ、貴様の怒りを。』 そうだ。あの日の少し前…確かにこんなことを言われた。 「ミコちゃんでねぇか。元気か?」 「岩崎のおじいさん…」 そうだ。あの村はみんながみんなのことをよく知っていて…誰もが私のことをミコちゃんと呼んで、優しくしてくれた。 『何故か分かるか?』 「何故って…」 『あの村の人間共は皆、貴様のことを巫女としてしか見ていなかったのだ。だから皆、貴様をそう呼んだ。』 そんなことない…とは、言い切れない。だって…あの日… 『怒りを思い出し始めたようだな、ミコト。さあ…刻を進めようではないか。』 ぺおる様がそう言うと、景色が変わっていく。 ───────── 「おやまぁミコ様、こんなところにいらっしゃったのですね。早くお帰りにならないと、御当主様が心配なされますよ。」 「ばぁや…」 彼女は私の家にいた女中さんの中でも、最も古株の人だった。 この日、私は屋敷に帰らずに、裏山のてっぺんで夕陽を見ていた。 「私…家に帰りたくない。」 そうだ…私は確かにその時、そう言った。 「お父様とお祖父様…最近いつも喧嘩してるから…」 「御当主様と先代様ですか…お二人ともご自分の考えをしっかりと持っておられる方ですからね…衝突なさることもあるでしょう…ですが、お二人とも、皆のことを考えておられます。」 「そう…なのかな…」 「ええ、きっとそうですとも。さ、一緒に帰りましょう。」 『ミコト、此の後どうなったか、覚えておるな?』 いや…! 『ならぬ。貴様には怒りを思い出してもらわねばならぬのだ。』 やめて…!! ───────── 「親父はそうやって古いやり方に固執して!!」 「何を言うか!ぺおる様を封じるには、ミコトに祭事を執り行わせるしかない!」 「そんな手段じゃダメだ!あれはデジモンなんだ!」 「デジモンだと?何を言うか!あれは破神であろうが!」 「ミコトにあんなことをやらせる必要はないんだ!東京のデジ対や学者先生に協力してもらえば────「ダメだ!!祭事はなんとしてでも執り行う。それがこの村の…何百年と前からの伝統だからな!」 「伝統だからって……!」 「…ミコトの力は強い。これ以上ないほどに適任だ。祭事の邪魔をするようなら…天罰が下るぞ。」 二人の怒号が、部屋の外にまで聞こえてくる。 かつて成人の年齢とされた16歳。最初にぺおる様を封じた巫女は、成人したばかりだったらしい。 私が16歳になり、祭事を執り行う日が近づくにつれ、お父様はお祖父様と揉めるようになった。 お父様は、ぺおる様がベルフェモンというデジモンであり、もしかすると、祭事よりももっと的確な封じ方があるかもしれないと言っていた。 東京で研究をしている、神月という大学の先生が協力してくれるかもしれないと嬉しそうに言っていたことは、よく覚えている。 難しいことはよくわからなかったけど、私があんな儀式をしなくてもいいようにお父様は色々と考えてくれているのは、よくわかっていた。 『其れ故、あの人間は死んだ。』 …だから、あんなことになってしまった。 別れは…突然にやってくる。 ───────── 「お…お父様…!」 あの日私が家に帰ると、お父様が血を流して倒れていた。 「大変…女中さん!お祖父様!!お父様が!!!」 胸に、儀式に使うための小刀が突き立てられていた。 「御当主様…ぺおる様の天罰が当たってしまわれたのですね…」 「……我が息子ながら愚かなやつだ。眠りの祭事を乱そうとしたから、天罰が当たったのだろう。」 みんな平気な顔で、天罰だと言った。 関根のおばさんも、岩崎のおじいさんも、村のみんながお父様が死んだことを天罰だと言った。悲しむこともなく。 『愚かな人間共だ…我は封印で身動きを取れぬのだ。天罰など与えられる訳も無かろう。』 じゃあ… 『そうだ。貴様の父親を殺したのは人間だ。』 やっぱり…そうなんだ。 『分かっていたのだろう?だから貴様は怒り、我を解き放った。』 …”あの日”私はぺおる様の祠に忍び込んだ。 祠の中央に安置されている、ぺおる様が封じられた、鎖を巻かれて眠る何かの動物のような形をした御神体。 何百年も昔から眠りの儀式として、巫女たちが想い人をその手で殺め、血を吸わせてきたそれを、私は思い切り倒した。 とても重いはずなのに、軽く触れただけで御神体はいとも簡単に倒れた。 『貴様の怒りが我を蘇らせ、我の怒りが貴様に力を貸した。』 本当は壊れるはずもない御神体が、一瞬で粉々になった。 『それが貴様の力だ。封印をかけることができれば、それを破壊することもできる。』 蘇ったぺおる様は一瞬で祠を吹き飛ばすと、家を次々と壊し始めた。 体から垂れ下がる鎖から黒い炎が発せられ、周囲の森ごと村が燃える。 軽く手を振るっただけで山が崩れ、家々が押しつぶされていく。 村の人々は…私がよく知っている皆は、悲鳴を上げる間もなく屠られていった。 私はそんな光景を見てただ立ち尽くしていた。 恐怖するわけでもなく、歓喜するわけでもない。 ただ全てが壊れて欲しいと思っていた。 「……私も…」 壊れていないものが私だけになった時、私はそう呟いていた。 私も壊れればいい。そう思ってた。 「ミコ…ト…!」 「えっ…?どうして私の名前……消えた…⁉︎」 しかし、ぺおる様は私を殺すことなく消えた。 『あの時、我は封印から解かれたばかりで完全ではなかった。スリープモードの姿すらも維持出来ぬほどにな。だから貴様の端末にデータを移し、体を癒すことにしたのだ。』 …だからあの時、私の前で姿が消えたんだ。 『我は完全に力を取り戻す寸前まで来た。其れ故こうして貴様に話しかけることも出来ている。後は貴様が再びあの時の怒りを取り戻すだけだ。』 確かにあの時私は、悉くの破壊を願った。 でも、今は… 『さぁ怒れ。我が全てを壊してやる!』 … ……私は ………私は! 「私はもう…壊れればいいなんて思ってない!」 『何!?』 「お父様が死んだことは…今でも悲しい。」 『ならば何故!』 「ぺおる様が…ベルフェモンがあの村を滅ぼしたから…もう私に恨むべき相手なんていないの…。それに今の私には…聖心さんやブランさんみたいな人たちがいるから。」 『巫山戯た事を!ならば貴様を内側から破り、リアルワールドに顕現してやるのみ!』 そう叫んで、ベルフェモンは私を引き裂こうとする。 『なっ…がッ…体が…!またあの…力無きアプモンの姿に…我を封じるつもりなのか…!?』 思わず私が両手で体を覆うと、突然ベルフェモンが苦しみだした。 「これが…眠りの巫女の力…」 私が危険を感じただけで…眠りの力が発動した…? お祖父様が言っていた私の力が強いって…こういうことなの…!? でも、好都合! 「ベルフェモン!このまま再び…スリープモンとして眠り続けなさい!」 ───────── 眩しい…朝日が顔に当たってる。 「今…何時…?……10時!?」 大変…! 「ごめんなさい聖心さん!寝過ぎちゃったみたいで…」 「ミコトちゃんが寝坊なんて珍しいっすね。なにかあったんすか?」 「えっと…その…変な夢、見ちゃって。ご飯ってもう食べました?」 「ウチらもさっき起きたばっかりっすから、まだっすよ。」 「じゃあ、何か簡単なもの、作りますね!」 ───────── 『ミコ……ト…封じ───続けら…………れるト────思ウな…──────