サングラスとマスク。やけにスースーする首回り。普段あまり着ない服。ちょっとチグハグな僕の今日のスタイルには訳がある。 普段使わない駅と道をたどって行き着いた目的地に歩み寄る。店員さんの挨拶に迎えられて僕は店内に入り、席に座ると備え付けの端末を手に取る。 注文を考えこみながら入力。あのウイルスの流行以降定着したシステムだけど、人と話すのが苦手な僕にはこれがちょうどいい。 しばらくお冷を飲みながら待っていると、注文した品が景気のいい声とともにやってきた。 「へいお待ち!ハマチとサーモンね!」 「あっ、ありがとうございます」 受け取ったそばから醤油を用意し、ネタに少しだけ付ける。口に運ぶと、旨味と海の味が口内で爆発した。 「~~~っ!!おいしい…!」 お寿司に舌鼓を打っているのは僕、ことロードカナロア。僕は今日、お寿司屋さんにやって来ていた。 「はあ~…こんなのいくらでも食べられちゃうよ」 独り言を思わず漏らすほど、今日食べたお寿司は好みに合っていた。高いお店ではなく、回転寿司屋ではあるけど。 僕は魚介類が大好きだ。自分でも好き好みの多いほうだと認識しているけど、魚介類だけはなんでも食べることができるし、ほとんどはおいしいと感じられる。 そんな僕は時々こうやって、お寿司屋さんや魚料理のお店を探して街を彷徨っている。無論変装しながらだけど、これは人目を避けるためでもある。 だけど結局、一番の目的はある一人の人物にバレないことである。それはもちろん今店に入ってきた…え? 『いらっしゃいませー!一名様でのご来店ですか?』 「はーい!」 『それではご案内いたします、こちらへどうぞ』 「はいはい、ふんふふ~ん♪」 そんなバカな。ありえない。絶対に絶対に、決して見間違えるはずのないその姿は…僕の最愛の妻、ハクサンムーン。僕が最もバレたくない相手。 まずい、少し遠めの位置ではあるけど顔が見えそうだ。とっさにうつむいて顔を隠し、指と腕の隙間から様子をうかがう。 ムーンは特に注文するでもなく、誰かを探すようにキョロキョロをあたりを見回している。気付いていないのだろうか。 揺れる栗毛や辺りを見回す碧色の瞳は確かに美しいし、相変わらず顔も態度も動作も世界一かわいいけど、今は鑑賞している余裕はない。 僕は今日知り合いと会う約束があると言って家を出たんだ。確かに会ったには会ったけどすぐ終わり、空いた時間でここに来ている。 その嘘というか、ちょっとの贅沢がバレたら…と思うと気が気でない。かわいいムーンも、怒るととっても怖いから。 そうして様子を伺っていると、いつの間にか注文を済ませてムーンもお寿司を食べている。おいしそうに食べたり、変な顔をしたり。 実家がドバイにあるせいか普段あまりお魚を食べている印象がないから、もしかして苦手なのかもしれない。 それならば何で、わざわざ嫌いなものもあるお寿司を食べているんだろう…見ているとハマチを食べ、サーモンもお気に召したようだ。 ひとしきり食事すると、いきなり席から立ち上がった。僕は座っているボックス席の端っこに身体を固めて、最大限隠れようとした。 どうやらトイレに行くらしい。やれやれ、今のうちにお会計を済まして帰ろう…僕は皿をかきわけて伝票を取ろうと手を伸ばした、その瞬間。 「はい、捕まえた!」 「わひゃああああ!?!?」 僕の腕がしっかりと掴まれている。この感触は忘れもしない、毎日味わっているものだ。ムーンが僕を掴まえていた。 「こんなところで会うなんて奇遇だね~♪」 ニコニコと、いやニヤニヤと笑っている。かわいいのはいいんだけれど、どう見ても悪戯っぽい笑顔と言い方だ。 すとんと向かい合わせの席に収まったムーンに見つめられて、僕は逃げられないことを知り全てを諦めた。 「ごめん…ムーン」 「やけに楽しそうに出かけていくなって思ったら…ご飯食べてたんだね」 「謝るから許して…」 「まあまあ顔上げて?ここはお寿司屋さんだよ!お寿司食べようよ!」 なんだかよくわからないけど、どうやらすぐに怒られるわけではないみたいだ。とりあえず安心した。 「うん…それじゃあマグロ赤身と中トロと鉄火巻きで…」 「食べ過ぎじゃない?」 ムーンの冷徹なツッコミを受けながら僕は注文を済ませようとした…らムーンに止められた。 「ちょっと待った!それ全部二つずつ頼んで、片方私にくれない?」 「食べたいの?まあいいけど…」 間もなくしてお寿司が運ばれてくる。マグロが中心の数品を2皿ずつ。テーブルが一杯に埋まった。 「それじゃあいただきま~す!」 「いただきます」 おいしそうなお寿司。どれもこれもじっとりとしたマグロの食感と、独特の旨みを存分に振るってくれる。 僕が自分のぶんを平らげながらムーンを見ていると、どうやらあまり食事の手が進んでいないようだ。 「ムーン?おいしくないの?」 「…いや…実は私、魚はちょっと苦手なのもあって」 「えっ!」 これには驚いた。魚の嫌いな人なんていないとなんとなく思っていたからだ。それにムーンが好き嫌いを言うところは、見たことがなかった。 「嫌なら食べなくても…」 「一回は味わっておいたほうがいいでしょ?だって、私が世界で一番好きな人の、好きなものなんだから」 「……!」 そうか、ムーンがつけてきた理由がわかった。そして僕は罪悪感でいっぱいになった。それはこっそり食事していたことにではなくて。 「私たちはこれからもずっと一緒なんだから、好きなものも嫌いなものも、全部ぜんぶ共有しよ?」 「うん…うん!僕もう、何も隠さないから…全部一緒に楽しもう!」 そうして僕たちは、今度こそ心置きなく食事を一緒に楽しんだ。 「ところでムーン…このマグロなんだけど」 「う」 「…ムーンにも好き嫌いってあるんだね」 珍しくきまり悪そうなムーンの赤い顔を見ながら、珍しいこともあるものだと僕はマグロの寿司を頬張った。いつもより美味しかった。