王都高速道103号線 コンドル3号隧道 午後10:30 シュティアイセ朝が手がけた王都整備計画、その一環として建設された高規格道路、通称コンドル。片側6車線、制限速度120デルタ。日中は無数の車両が飛び交う現代サカエトル繁栄の象徴のひとつだ。 隧道に沿って設けられたメンテナンス用の歩廊が、会合に指定された場所だった。 うまく考えたものだ、とイザベルは感心する。部外者が隠れる場所はなく、会話は車両の騒音でかき消される。裏切りが発覚すれば、逃げ場のないこの空間で容易に始末できる。 隧道の中央に、スーツの男が一人立っていた。ナトリウムの灯りに照らされて影絵のように見える、痩せた壮年の男。オレンジ色のモノクロームの中でも、その男の顔色がとても悪いことがわかった。 男はこちらに気付くと目を丸くした。しかしすぐに、状況を面白がっているように笑い、吸いかけの紙巻きタバコを車道に捨てた。 「誰が来るかと思えば、ヘル家のセレブと聖騎士様とはな。…まあ、納得だ。適任かもしれない」 「あなたが"H"なの?」ヘルマリィが問う。 「違うよ。俺は刑事だ。王都警察」 そう言ってIDケースを顔の横に掲げた。アンマナイン家の紋章が刻まれた黄金の七芒星が艶やかに輝く。それは男の枯れ枝のような手に、吸い付くように収まっていた。 「ギャンだ。"H"っていうのは、ここを教えた奴の事か……」 ギャンは、視線を飛ばして思考した後、まあいいか、という表情で言った。 「そいつは”ハイバル”だ」 「ハイバル?」異様に古めかしい響きにヘルマリィの注意が惹かれた。 「情報提供者だよ。種族、国籍、性別、すべて不明。だがこれまでのタレコミに外れはひとつとしてなかった。俺たちも必死で探してるんだがな、駄目だ。メッセージの送信元がハイバルって事以外、情報がまったく出てこない。幽霊みたいなやつだよ」 「ハイバルが、あなたたちをここに呼んだ」 「その通りだ」 ヘルマリィは情報を得ながら、この刑事をプロファイリングしていた。精鋭揃いの王都警察。銀食器のようにプライドが高いはずなのに、弱みを平気で曝け出している。目的のためにあらゆる手段を行使するタイプだ。 ギャンは使い古したレザーのブリーフケースからマチ付きの封筒を取り出し、イザベルに渡した。中に数十枚の紙を束ねたフォルダーが入っていた。 「大丈夫だ、ここで開けていい」 それは名簿の炭素複写だった。アルファベット順にまとめられている。 「"I"の部分を見てみろ」 イザベルは自分が記録されているのを見つけた。欄外に手書きでチェックが記されている。それは他の人名にもいくつかあった。他のページにも。やがて無数にあることに気付く。 「王都で保護しているカンラーク難民のリストだ。その印は、消息不明を示している。あんたの横にあるそれは、今消えたけどな。ここ数ヶ月で急増してる。捜索願いが山積みで、俺たち警察はパンク寸前さ」 イザベルはページを素早く繰る。ボーリャック。チェック。 「サカエトルのカンラーク難民コミュニティは新しい。残念だが俺たちにはまだ手がかりが少ない。そこへハイバルからタレコミがあった」 ギャンは話しながら、ジャケットの内ポケットを弄り、拉げたキャメルのケースから1本取り出す。ライターの火は3回目で付き、気怠そうに点火し、目一杯吸い込む。ギャンの一連の動作を二人は黙って見ていた。肺まで一緒に出てくるのではないかと思うほど煙を吐き出すと、言った。 「難民をオンケーンに売ってる奴らがいるってな」 イザベルの目尻がわずかに痙攣した。ヘルマリィは動かない。 「俺はあいつらの文化にどうこう言うつもりはない。俺たちだって牛や豚を食うからな。だが昔は人身御供や戦争捕虜だけを食ってたって言うじゃないか──」 「とても難しい問題です。まだ私にも答えが見つかっていません」 「…悪い。あんたに苦情を言いに来たわけじゃない。それは別の問題だな。それに、人間なんだそうだ、その”奴ら”ってのは」 ギャンは陰惨な視線を車道に落とす。 「ハイバルの言ってることが本当なら、今すぐにこのカスどもを潰さなきゃならない」 そうだ、とイザベルは頷く。 「そうか…あんた、”外院”出身の聖騎士か」 古来、カンラーク聖教会は、気候や戦争、経済の混乱などで社会からこぼれ落ちた人々に、パンと屋根、毛皮のコートを与えてきた。救済を受けた人々は集まり、やがて独自の共同体を築いた。彼らは聖教会への奉仕──聖堂の建設や清掃、巡礼者の世話、祭礼の準備──によって恩に報いてきた。 その労力により聖堂と彼らの住まう“外院”は彼ら自身の手で拡張され、発展していった。こうして形づくられた都市は、いつしか「聖都」と呼ばれるようになった。 外院に保護された孤児が成長し、カンラーク聖騎士団に入隊する例は多い。イザベルもその一人だった。外院での振る舞い方やコネクションを生来身につけている者をハイバルは寄越したのだと、ギャンのアルゴリズムは推測した。 「私はカンラークキャンプを当たろう。まだ知り合いがいるはずだ」 「今は、タウンだ。何かわかったらそこにかけろ」 封筒の底に、無造作に名刺が入っていた。 イザベルたちとギャンは、すれ違うように隧道を進み、別の出口から地上を目指した。ギャンは一度もこちらを振り返らなかった。 地上に出ると車道の騒音が退き、真空のような静けさが包んだ。 「レディ──」 イザベルがヘルマリィの背中に触れた。ヘルマリィが見回すと、街路樹の茂みに溶け込むように重武装のスワット達がこちらを見ていた。10人、20人──。ヘルマリィは途中で数えるのを諦めた。 コンドルの続く先にはサカエトル城が市街地の向こう側から覗いていた。シュティアイセ様式のマンデルブロ集合図形を模した複雑なファサードは、どの距離からでも同じ形に見えるそうだ。それはこの都市の写し絵のように見えた。